2001-11-30 第153回国会 衆議院 財務金融委員会 第12号
大体、金融というのは、バブルの崩壊がなくて地価が右肩上がりのときだって、不動産を担保にとれば六掛け、これは金融の常識です、サウンドバンキングなんだから。それを全部外していっちゃう、あるいはそれを小さくするというのは、これはバンキングの原則に反しています。つまり、二次ロスを出す可能性が非常に高いということですよ。
大体、金融というのは、バブルの崩壊がなくて地価が右肩上がりのときだって、不動産を担保にとれば六掛け、これは金融の常識です、サウンドバンキングなんだから。それを全部外していっちゃう、あるいはそれを小さくするというのは、これはバンキングの原則に反しています。つまり、二次ロスを出す可能性が非常に高いということですよ。
だからゆっくりしていていいんだという話も伝わってくるんですが、私はそれはちょっとおかしいな、不良債権は本来できたらすぐに売っ払うというのがサウンドバンキングの原点だろうと思っております。 それから、この緊急経済対策についての考え方でありますが、私は政府の立場ではございませんが、基本的に、小泉総理もおっしゃったように、いいものはとる、そして必要なものは足していくんだ、こういうお話がありました。
バブル発生以前からサウンドバンキングのルールははっきりしていた、それは当然の常識でありますから。担保の掛け目も安全を見込んだ運用がなされていたはずでございます。融資に当たって信用リスクを知らなかったわけでもないだろうし、審査がなかったわけでもないはずです。今審査部門での人材配置を答えられましたけれども。
げましたように、やはりバブル期の中では運用先を多く探すということと、あの時代にやはり右肩上がりの中でそういう担保主義的な色彩を持って判断をしてやったというのがバブルの反省点でありますし、私もバブルのときの責任者といたしまして反省しますと、不良資産じゃなくて優良資産の開拓というのを言っておりますけれども、実際には優良資産の開拓ではなくて、不良資産とかというものであれば、業容は縮小してもいいから健全経営、サウンドバンキング
人のことは余り言えませんが、そういう傾向は、昔のサウンドバンキング時代に比べますとやはり大分たがが緩んでおるんではないか、そういうふうに思っております。
そういうことでございますので、本当に銀行の経営の本質というのは私はサウンドバンキングだと思っておるわけでございますが、この銀行に対するモラルの面からの国民の批判、そういったものをどうやって取り返して、銀行の一番大事な信用という問題をどういうふうに回復していかれるか、これを一つお伺いしたいと思います。
本来、金融機関は、その公共的性格からいいまして、高いモラルと節度が要求されているのでありますが、銀行がサウンドバンキングの原則、資産の安全性、流動性を図るという健全経営の原則から逸脱し、土地の投機取引に深く関与したことは重大であります。また、これを許した金融当局の責任も重大であると考えております。 次に、子会社である住専の経営に対する母体行の責任について述べたいと思います。
健全な銀行として、サウンドバンキングとしてディスクロージャーをしろ、こういうことで金融制度調査会でもいろいろ議論されておるわけですよ。国の財政は確かに予算書を見れば公債依存度一一・二%、八兆一千三百億円出しますよとか、これはわかるのです。しかし、こういうアンダーテーブルの隠れた部分は、これは資料を請求しなきゃ出てこない。
それは何も証券だけの話ではなくて、例えば銀行のサウンドバンキングにとりましても、あるいは競争と申しました場合にも、フェアな競争という意味ではイコールフッティングが必要である、同じ立場に立ってフェアな競争をすべきではなかろうかとか、あるいは銀行と証券との仕事の間には利益相反というようなことが間々起こるのではあるまいか。
しかし私は、銀行は銀行の経営内容、サウンドバンキングの程度によって順番がつくのならいいけれども、預金量が多ければ一番ということではそういう預金集めの過当競争が行われて、優秀な大学出の諸君が一軒一軒歩いて預金勧誘するなどということは適切でないので、ひとつ新格付基準ということで新しいルールをつくって銀行のサウンドバンキングの内容の順に並べるということにできませんか、こういう提案をいたしまして、それが高橋俊英銀行局長
○田中説明員 御指摘のとおり、輸出入銀行法の十八条の二によりますと、償還確実なものでないと融資をすることはできないということで、サウンドバンキングの原則がうたわれております。
それからいま一つは、金融機関の問題につきましては、主として私が先ほど申しましたのはサウンドバンキング、いわゆる健全経営という面から、その制度が果たしてきた役割というようなものが評価されたという意味において申し上げたわけでございます。
したがって、サウンドバンキング、すなわち健全経営という点においては日本の方がすぐれておる。したがって、アメリカから見れば、日本ではなかなか銀行が買収ができないが、日本の金融機関はすぐアメリカの銀行を買収するじゃないか、こういう議論もございまして、とにかくお互いが対等な立場で全都市場を開放して、さあいらっしゃいというような状態をつくろうということになっておりますが、現在銀行の買収はございません。
その際、最も重要なことは、個別金融機関の自己責任原則の徹底であり、預金者保護を第一とした健全経営の維持、サウンドバンキングの確立が基本であることは言うまでもないと考えますが、この問題につきまして大蔵省としてはどういうふうにお考えになっておられますか。
日本の方は非常にサウンドバンキングで、健全経営というものであっただけに、また貯蓄率の高さというもの、私は金融機関、これはもう郵便局も含めてそういうものがいわば倒産することはないという認識があるいは貯蓄率の高い要因の最近一つじゃないかというふうにも言っておるわけでありますが、したがってそういう中から、自己責任主義というものがどちらかというと薄いということは御指摘のとおりであろうと思っております。
アメリカはしょっちゅう倒産したりしますが、これはアメリカは銀行が一万四千五百ありますし、日本は相互銀行を入れたって百五十六しかございませんから、そういう非常にサウンドバンキング、そういうこともあろうかと思うのでございます。
勤倹貯蓄の思想が強いとか、あるいはサウンドバンキングが徹底しておってしたがって国民の方に信頼感があるということ、あるいは逆にそれは、老後の保障とかそういう制度がきちんとしていないから、不安だから貯蓄率が高いんだという議論ももちろんございますけれども、ある意味においては貯蓄率の高さというのは、構造的なそういう傾向になる一因ではあるなというふうに私は思っております。
それが預金者保護という立場からだんだんサウンドバンキングということで合併されて、今日相互銀行を含んで百五十六と、こういうことになっておる。アメリカの場合はすべてが自己責任主義、極端な言い方をすれば、おまえがああいう銀行へ預けておったからばかを見たんだ、あるいはおまえの経営が劣っておったから倒産したとか、日本の銀行に買収されたんじゃないかとか。
えでございまして、特に問題は、今証券局長触れられましたけれども、私がちょうどこの問題を取り上げた昭和五十四年の十二月に、当時六・一国債が大変暴落をいたしまして、そこで統一経理基準の上で原価法、低価法の選択を銀行側に任せるという異常な処理がされた時期であったわけであります、私は、実は、あの統一経理基準というのは高橋さん、ゴリさんが銀行局長のときに、銀行の預金量だけで順番が決まるのはおかしいではないか、サウンドバンキング
銀行局といたしましてはサウンドバンキングはぜひ守らなければいけないということで、今証券局長も指摘しましたけれども、投資勘定と商品勘定を十分分ける、それから組織的にもそういうディーリング部門といわゆる普通の部門とを分けて仕事をしていくというような、はっきりそういう体制ができるとか、それを踏まえた上で私どもとしては認可をしていきたい、こう思っておるわけでございます。
この間から部内で詰めておりますが、いよいよサウンドバンキングというところを念頭に置いて、地銀の各位の出てきたものに対する審査をしなきゃいかぬ。今おっしゃいましたように、非常に素人っぽい話をしましても、すぐ、いや、各財務局ごとに一つあるだろうかとか、預金量の順番に並べてみたらどうだとか、いわば一律方式みたいなのがやっぱり一番危険だ。
その意味においては、ちょっと横へそれるようでございますけれども、明治三十四年に千八百ありました銀行が、今相互銀行を入れて百五十七で、だんだんだんだん統合しながらサウンドバンキングというもの、要は投資家保護、被保険者保護、いや、さらに預金者保護という精神が日本の金融行政の中には非常に強かったために、銀行とは倒れないものであるということからして、日本の勤倹貯蓄の思想のほかに、そういうものが貯蓄性向を高からしめておった